マラトンの戦い~ペルシア帝国軍にアテネ軍が勝利した戦い

マラトンの戦い~ペルシア帝国軍にアテネ軍が勝利した戦い

マラトンの戦いは、ペルシア戦争中に起こった戦いのひとつだ。2,500年ほど前には、古代ギリシアが強大なペルシア帝国に立ち向かう戦いを繰り広げていた。本記事では、その中でもギリシア興隆のきっかけになったと言われている、マラトンの戦いについて説明する。

マラトンの戦いとは?わかりやすく解説

マラトンの戦いとは、前490年、アッティカ半島のマラトンに上陸したペルシア軍とアテネ軍との戦いである。マラトンは、アテネの北東40kmにある浜辺だ。マラトンに上陸したペルシア軍は、アテネ軍に撃退されている。無敗とされてきたペルシア帝国にとって、初めての敗北となった戦いである。

当時、アケメネス朝ペルシア帝国は、中東の全域とエジプトからリビアの東半分を支配下におく大帝国であった。対してアテネは、ギリシアポリスのひとつでしかなかった。ペルシア王ダレイオス1世が西への侵攻を進めるにあたって、ギリシアポリスが連合して立ち向かっていったのがペルシア戦争である。そのうちの有名な陸戦がマラトンの戦いだ。

ペルシア戦争との違いは?

マラトンの戦いは、前494年に始まったペルシア戦争のうちのひとつの戦いであるが、他の戦いと大きな違いがある。それはアテネ軍が独力で勝ったということだ。

アテネと並ぶ2大ポリスのひとつだったスパルタは、軍事に力を注ぎ、市民は若いときから厳しい訓練を受けていた。スパルタ軍はギリシアポリスの中で当時最強だと言われていた。

そのスパルタ軍が、マラトンの戦いに遅れたために、アテネ軍は独力で戦わなければならず、戦況は劣勢だった。しかし、名将ミルティアデスに率いられたアテネ軍は、ペルシア軍に大勝利することができたのだった。

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ペルシア戦争は、ペルシア帝国対ギリシアポリス連合軍との戦いで、前500年から前446年の間に4回、ペルシア軍がエーゲ海へ遠征している。

マラトンの戦いまでを簡単におさらい

マラトンの戦いは、第二次ペルシア戦争中の有名な陸戦だが、マラトンの戦いが起こるまでを簡単にまとめたので参考にしてほしい。

ペルシア戦争の始まり

前6世紀末にオリエント全土を統一したペルシア帝国は、さらに西へ圧力をかけていた。前6世紀半ばにペルシア帝国はイオニアを支配下に入れたが、ペルシア帝国は、イオニアに対して貿易活動などを厳しく制限していたため、不満が高まっていた。

その結果、前500年にミレトスを中心にペルシア帝国に対する反乱(イオニアの反乱)が起こり、アテネとエレトリアは援軍を送っている。なおイオニアの反乱は、前494年に鎮圧された。

ペルシア帝国のダレイオス1世は、アテネとエレトリアがイオニアに援軍を送ったことに激怒してギリシア遠征を開始したのが、ペルシア戦争の始まりである。

第一次ペルシア戦争

前492年ダレイオス1世は、マルドニオスを将軍に命じて、ギリシア北方をペルシア帝国の支配下にするために、大規模な陸軍と海軍をギリシア遠征に向かわせたのだった。

ペルシア軍はエーゲ海の最北に位置するタソス島を制圧し、トラキア地方を侵略。その後ペルシア海軍はアトス岬で暴風にあって、その大部分が大破してしまったために引き上げている。これが俗に言う第一次ペルシア戦争だ。

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第一次ペルシア戦争では、暴風雨のために、300隻の軍船と2万人以上の死者をだしたと言われ、ペルシア軍には大きな被害がでている。

マラトンの戦いへ

軍船と兵士を失ったものの、ペルシア帝国はトラキアからマケドニアに至る広大な領土を得ることに成功した。ダレイオス1世はその後、ギリシアのポリスに対してペルシア帝国の支配下に入るように勧告していったが、アテネ、スパルタなどは反発したのだった。

そして、前490年ダレイオス1世がアテネとエレトリアの討伐を名目に、ダティス、アルタフェルネスの2人を指揮官として遠征軍を派遣したのが第二次ペルシア戦争となる。

ペルシア軍はナクソス島、デロス島を征服した後、エウボエア半島に上陸。エレトリア人の必死の抵抗もあり、ペルシア軍がエレトリアを陥落させるには予想外に時間がかかったのだった。そうしてペルシア軍はアテネを目指してマラトンに上陸するのである。

マラトンの戦いの経過

アテネからマラトンまでの距離は約40㎞。マラトンの平原でアテネ軍とペルシア軍は、向かい合ったままの膠着状態が5、6日は続いたとされている。

アテネ軍の総司令官になった将軍ミルティアデスは、スパルタ軍の到着を待たずに勝負に出ることにした。この時点でペルシア軍はアテネ軍の1,5倍から2倍の勢力だったらしいが、これ以上待てばペルシア軍の全軍が到着することが考えられたからだ。

まお、マラトンに上陸したペルシア軍には、騎兵隊がほぼいなかったとされており、歩兵同士の戦いになると見たミルティアデスは、重装歩兵密集部隊の戦術をとっている。

アテネ軍の重装歩兵は兜、胸甲、脚甲、盾などの防御用の武具を用いており、ペルシア軍の軽装歩兵は防御用の武具は少なかった。加えて、アテネ軍の槍や剣は、ペルシア軍のものより長く、接近戦では有利であったのだ。ペルシア軍の矢の射程距離まで進んだ重装歩兵は、盾で矢を避けながら全力疾走で敵との距離を縮めて戦ったのである。

ペルシア軍の布陣は左翼、中央、右翼の形で、中央に最も多くの兵士を配置していた。アテネ軍も同様に左翼、中央、右翼に分けたが、兵の数をペルシア軍とは逆にしている。つまり両翼に多く配置し、中央は極端に少なくした。ミルティアデスの考えた戦術は、包囲壊滅作戦だった。

また、アテネ軍は、故郷や家族を守るという強い思いがあった。それに対してペルシア軍の兵は遠征と戦いで疲労し、士気は低下していたのだ。マラトンの戦いでアテネ軍は、優れた戦術と高い士気によって圧倒的な戦力差をものともせず、ペルシア軍を撃退したのだ。

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ミルティアデスの考えた包囲壊滅作戦は、「右翼がペルシア軍の左翼を撃破し、船へ逃げ込む前に始末すること」「左翼は敵を撃破し、敵の背後に回り込んで包囲すること」「中央は敵に突破を許さず、少しずつ退いていきながら耐えること」であったとされている。

マラトンの戦いの結果

マラトンの戦いでは、ペルシア軍の死者6,400名に対して、アテネ軍の死者192名と劣勢を覆したアテネ軍の大勝利に終わった。

マラトンの戦いに勝利したアテネ軍だが、マラトンの戦いに参加していないペルシア軍の残りの兵士がアテネを襲うことを恐れて、強行軍でアテネへ帰還した。しかし、ペルシア軍はアテネを攻撃することなく去っていき、無敗とされてきたペルシア帝国にとって、初めて敗北を喫する戦いとなったのだ。

なお、スパルタ軍が到着したのは、戦闘の翌日であったようだ。

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ちなみにマラトンの戦いで、アテネ軍はペルシアの船を7隻捕獲している。

アテネを勝利に導いた将軍「ミルティアデス」

マラトンの戦いの功労者、ミルティアデスとはどのような人物だろうか。

マラトンの戦いを勝利に導いたミルティアデスは、アテネの名門の生まれである。ヘレスポントスのケルソネソスの僭主(せんしゅ)としてアテネを離れていたが、イオニアの反乱を機にアテネに戻っている。

アテネに戻ったミルティアデスだが、僭主政の協力者であったことを理由に、政敵により告訴されるが無罪となった。その後、ミルティアデスはストラテゴス(軍事・政治の役職)に選出され、マラトンの戦いに向かったのだった。

なお、ミルティアデスは僭主時代にダレイオス1世のスキタイ遠征に参加しており、ペルシア軍についてよく知っていた。このような過去の経験がマラトンの戦いでの勝利に結びついたと言えるだろう。

「マラソン」の起源はマラトンの戦い?

マラトンは、近代オリンピックの「マラソン」の起源とされている。

その話のひとつが、ギリシア兵士のフィリッピデスは、マラトンの戦いに勝利したことをアテネ市民に伝えようと、伝令としてマラトンからアテネの約40㎞を走った。そしてアテネの人々に勝利を告げた直後に絶命したというエピソードだ。

人々はフィリッピデスの功績を讃えるために、長距離を走る競技がマラソンとして始まったとされている。

しかしこの話は実話ではないようだ。ヘロドトスの著書「歴史」は、ペルシア戦争について詳細に書かれているが、マラトンの戦いの勝利を告げた後に倒れたという話はない。

ヘロドトスの「歴史」にあるのは、伝令フィリッピデスが、マラトンの戦いの直前にアテネからスパルタへ援軍を要請するため、2日間走ったということしか記載されていない。

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マラソンと聞くと、太宰治の「走れメロス」が由来ではないかと勘違いしている方もいるようだが、「走れメロス」の発表は1940年。一方、第1回オリンピックでマラソン競技が行われたのは1896年である。つまり、マラソン競技の方が先なのだ。

まとめ

マラトンの戦いは、ペルシア戦争の一幕となったペルシ帝国対アテネの戦いだ。専制君主制のペルシア帝国と、民主制のギリシアポリスのアテネは、約50年に渡って戦いを繰り返していた。

その初期の戦いであるマラトンの戦いにおいて、ひとつのポリスでしかなかったアテネが、無敗のペルシア帝国は無敗ではないことを証明したのだ。

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