宦官が去勢しないといけなかった理由とは?手術方法や身体的特徴も紹介

宦官が去勢しないといけなかった理由とは?手術方法や身体的特徴も紹介

宦官と言えば中国が有名だが、世界各地で宦官制度が取り入れられ、去勢した男性が後宮や宮廷で宦官として使われていた。本記事では宦官が去勢しないといけなかった理由や手術方法、宦官の身体的特徴を紹介する。

宦官のはじまりとは

宦官の歴史は古く、紀元前14世紀の中国にさかのぼることができる。それは殷王朝の遺跡から発見された甲骨文字に書かれており、殷の武丁王(ぶていおう)が、異民族の捕虜を去勢して宦官にする内容であった。これが宦官の記録として世界最古の記録になる。

征服者が異民族を去勢したのは、勝利を見せつけるためだった。去勢された者は故国に帰ることもできず、異国で居場所のない社会に無縁な存在となるため、宦官としての役割を与えられたと考えられている。

後には異民族だけでなく、捕虜や重大な罪を犯した者に対して去勢が行われ、宦官として使用された。また、一般の人々の間で自分から進んで去勢し、宦官になる者も現れてくるのだった。

なお、西洋ではアッシリア女王セミラミスが宦官制度を取り入れたのがはじまりだとされている。古代オリエントの専制君主制の成立により宦官が必要とされたのだろう。

去勢を刑罰とするものは世界的に多数の実施例があり、宦官はメソポタミアやオリエント、古代エジプト、古代ギリシア・ローマの時代から世界各地に存在していたことがわかっている。

宦官が去勢しないといけなかった理由

宦官が去勢しないといけなかった理由のひとつには、皇太后または皇太后の周囲の女性の召使として、後宮に出入りしていたことが挙げられる。一般の男性を後宮に入れると男女の関係になる恐れがあり、血統を維持し争いを避けるために性交渉のできない宦官が必要とされたのである。

もうひとつの理由に、宦官は死ぬまで後宮で君主(皇太后)に仕えて献身的に働いたことがある。なぜなら宦官は去勢しているので、後宮の外では行き場のない者だった。君主にとって去勢した宦官は、非常に便利で、信頼できる存在であったと言えるだろう。

また、君主は神の代弁者であり神秘な謎に包まれた存在でなければならず、人民を遠ざけるために去勢された宦官が必要とされた。君主と人民の間は明確に分かれていなければならなかったのだ。

君主の正体を知られてしまうことを避けるために、去勢して社会との縁を絶った者が宦官となって召使の役割を果たしたのである。

ヘロドトスの著書「歴史」には、「君主が臣下を制することをねらってもうけた神秘的な距離の役割をする」と記されており、君主が人民との適切な距離を取るために、君主の召使である宦官に去勢は必要だと考えられていたようだ。

宦官の去勢方法

宦官の去勢手術方法は、時代や国によって異なっていたようだ。ここでは、例として「清の時代」のほか、「古代エジプト」と「南インド」で行われていた去勢手術について紹介する。

清の時代の去勢手術

清の時代には専門家が去勢手術を行っていた。紫禁城の西門を出たところに手術場があり、刀子匠(タオツチヤン)と呼ばれる政府公認の専門家が宦官をつくっていたのである。去勢を望む者は横を向いた姿勢で座って、助手が3人がかりで押さえていた。

去勢手術は、まず紐や包帯で下腹部と股の上部あたりを強く結び、それから陰茎の切断を行うあたりを胡椒湯で3度丁寧に洗浄した。

そして鎌のように少し弓型になった刃物で、陰茎・陰嚢をそろって切り落としたのである。尿道には白色の蝋燭でできた針や栓を差し込んだ。傷を冷水にひたした紙でおおって、包むと手術は終わる。

その後手術を受けた者は、執刀者にかかえられて2〜3時間部屋を歩き回ってから横になって回復を待つのだが、手術後3日間は水を飲んではならず、たいへんな苦しみだったとされている。

水を飲めば尿が排出されず、栓を抜けば切ったところの肉がもりあがり尿道を閉ざすので、どちらにしても死に至るからだ。3日後、尿道の栓を抜いて噴水のように尿が出れば手術は成功である。

切断された男根は大切に保管された。男根は昇進の際には確認のために見せ、死亡したら棺の中に入れて埋葬された。

古代エジプトの去勢手術

古代エジプトでは、僧侶によって去勢手術が行われていた。

まず細く強い毛糸で性器全体を結び、剃刀を使って糸で結んだところから切り取った。灰や熱い油を使って止血され、尿道には金属製の棒が入れられた。それから熱い砂の中にへそまで埋められて、5〜6日はそのままだったようだ。

南インドの去勢手術

南インドにおいては、去勢手術をする前にアヘンが使われていた。手術を受ける者は陶器の腰掛(スツール)に座り、竹べらに挟まれた性器を剃刀で竹に沿ってすべらせて切断した。

その後、傷口に熱い油がそそがれてから、油をひたした布があてられた。手術後は横になって乳で栄養をつけて回復を待つが、ほとんど失敗することはなかった。

去勢後の死亡率は意外に低かった?

去勢手術の死亡率は古代エジプトでは60%にも達しており、古代インドや古代中国でも半分以上が亡くなっていたと推測される。あまりにも死亡率が高いため、睾丸のみを取る場合が多くなった。

しかし清の時代になると去勢手術はほぼ成功しており、1人死亡しただけとの資料もあるそうだ。

去勢した宦官の特徴

去勢した宦官の身体的特徴と精神的特徴を紹介するので、参考にしてほしい。

身体的特徴

身体的特徴の一覧
    • 宦官の顔つきは、全体的にいやな雰囲気だった。若い美貌の持ち主は、本物の女性が男装しているかのようだったが、年齢とともに男の仮装をした老婦人のようだとも言われていた。
    • 去勢手術によって、男性特有の声ではなくなる。子どもの頃に去勢した宦官は、若い女性の声と変わらないが、成人してから去勢すると気に障る金切り声のような裏声になった。
  • ひげ
    • ひげは去勢手術によって2〜3か月にうちになくなる兆しが現れ、少しずつ抜けていって最後にはつるりとした顔になる。幼い頃に去勢していれば、ひげは生えないままだ。
  • 身体
    • 猫背になって、前かがみにちょこちょこと歩くようになる。若い時に去勢した場合は、でっぷりと肉がつき肥ってくる。丸みがある体つきで、肉はやわらかくしまりがない。年をとるにつれて肉が落ちしわがよってきて、40代でも60代くらいに老けて見えた。

宦官は、去勢によって尿意をコントロールすることができにくくなったため、失禁や寝小便も多く、尿臭が強かったと言われている。

このように、去勢をすると全体的に女体化する傾向が見られるが、一般女性よりは力仕事ができたようだ。

性格的特徴

宦官は、去勢手術によって性格にも変化が生じたようだ。一般的な宦官の性格は、気分の変化が激しく、ささいなことで泣いたり、腹を立てたり、怒ってもすぐに機嫌を直したりする傾向があったとされている。

また、寛大でむごいことを好まず、強いものに従い、女性や子どもに対しても愛情をもつのも特徴だったようだ。正直で盗みを働くことはなく、慈悲深いので貧しい者へ恵むことも多かったとされている。

一方で権力志向は強く、宦官の権力欲のために国が乱れたり、民衆が苦しんだりするような場合もあった。

去勢後の宦官は排泄が大変

去勢後の宦官は、排尿をコントロールすることが難しかった。陰茎の切除により、手術前のように立って排尿することはできなくなった。

特に尿の出る方向をコントロールできず立って排尿すると周囲に飛び散ってしまうため、女性のように座位で排尿していた。座って排尿することは、宦官にとっていちばんの屈辱だった。

去勢手術後は尿意がわからず寝小便をしてしまうことも多く、日中でも頻繁に尿漏れするため、宦官は半里先からでも臭うと言われていた。

また、成人になってから去勢した場合、尿管の長さが半分以下になったにもかかわらず脳内ではペニスがあるように感じているため、我慢の程度がわからず漏らしてしまうこともあったようだ。

宦官は、寝小便が続くと厳しい体罰を課せられることもあったようだ。

まとめ

本記事では宦官が去勢する理由や去勢手術の方法、宦官の身体的特徴などについて解説してきた。去勢した宦官は、君主や後宮の人々にとって都合の良い存在であり、一般の者より信頼できる面もあったと言えるだろう。

宦官は去勢したことによって、一般の人々とは異なる性になり、通常では関わることのない世界に身を置いた人々だったようだ。

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