十字軍についてわかりやすく解説!派遣された理由や遠征の歴史なども紹介

十字軍についてわかりやすく解説!派遣された理由や遠征の歴史なども紹介

十字軍は、1096年から200年近くに渡って行われたキリスト教によるイスラム教圏への遠征だ。数々の蛮行や悪行を行い、キリスト教徒とイスラム教徒のその後の関係にも深い影響を及ぼしている。本記事では、十字軍の派遣の理由と歴史についてわかりやすく説明する。

十字軍とは?わかりやすく解説

十字軍とは、中世において、カトリック教会に所属する西欧の諸国が、聖地エルサレムをイスラム勢力から奪還するために派遣した遠征軍だ。

しかし、回数を重ねるごとに聖地奪還の意義は失われていき、単なるイスラム勢力圏への遠征となっていった。さらには同じキリスト教圏へ攻撃を仕掛けるなどの蛮行も行われるようになっていく。

第1回十字軍が1096年に派遣されて以来、1272年に最後の十字軍が撤退するまで、約200年間に全7回の十字軍が派遣されている。

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日本では平安時代中期から鎌倉時代中期にかけての時期に当たる。十字軍の遠征は、日本の政権が移り変わるほど長い期間に渡って、繰り返し行われているのだ。

十字軍が結成されたきっかけ

十字軍の結成のきっかけは、1095年に東ローマ帝国(ビザンツ帝国)がイスラム王朝であるセルデューク朝にアナトリア半島を征服され、ローマ教皇に援軍を求めたことだ。

教皇ウルバヌス2世は各国のキリスト教徒に呼びかけ、賛同した騎士や諸侯たちが十字軍としてエルサレムへと進軍した。

なお、十字軍の名称は多岐にわたって使われていて、「民衆十字軍」や「北方十字軍」など様々な十字軍が存在する。

しかし、一般的には「教皇や国王の呼びかけに応じてエルサレム奪還やイスラム圏への侵攻を目指した遠征軍」のことを指すので、本記事ではその他の十字軍は別のものとして考えている。

十字軍の意味と由来

十字軍という言葉は、英語の「crusade」で、日本語風の発音では「クルセイド」・「クルセイダーズ」などと表記される。元々はラテン語で、「十字に記された」という意味の「cruciata」、または「深紅の十字架の勲章を持つ人」という意味の「crucesignati」という単語が由来だ。

当初は「旅」や「巡礼」を意味するラテン語で呼ばれていて、キリスト教徒の巡礼と同じ用語で区別がつかなかった。そのため、「十字軍」という言葉が使われ始めたのは第1回十字軍から約100年後のことになる。

十字軍は何回派遣された?

十字軍の派遣回数には諸説あり、1228年~1229年に神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ2世が破門されている状態で行った遠征(別名で破門十字軍とも呼ばれている)を数に入れる場合や、1270年のフランス王ルイ9世の遠征とそれに続く1271年~1272年のイングランド王太子エドワードらの遠征を別に数える説があるため、最大で9回とする説も存在する。

十字軍が派遣された理由

十字軍の派遣のきっかけはビザンツ帝国からの援軍要請であったが、あくまでも領土奪還のための援軍要請だった。

しかし、教皇ウルバヌス2世は、自らのためにそれを利用する。当時、分裂状態だったキリスト教内部での教皇の権威を高めるために、異教徒であるイスラム教国家から聖地エルサレムを取り戻そうと訴えたのだ。

こうして、聖地エルサレム奪還を目的として十字軍が派遣される。キリスト教徒にとって、エルサレムはイエス・キリストが教えを説き、磔刑にかけられ、復活した聖地だった。

しかし、エルサレムは7世紀頃からイスラム勢力に支配されていて、イスラム教が公認の宗教になっていた。エルサレムを取り戻すことには、キリスト教の教会勢力にとっては重要な意味があったのだ。

もっとも、エルサレムはイスラム教やユダヤ教にとっても聖地であるし、イスラム教の支配下にあったが、キリスト教の信仰や巡礼は認められていた。なのにエルサレム奪還にこだわったのは、当時のキリスト教の排他性が原因だと言えるだろう。それが、十字軍が行った残酷極まりない悪行の理由の一つになっている。

十字軍遠征の歴史

十字軍遠征の歴史を時系列で紹介する。

1096年〜1099年
第1回十字軍
教皇ウルバヌス2世の要請に応じたフランス王国と神聖ローマ帝国の諸侯を中心に、第1回十字軍が組織された。遠征軍は補給もままならず、現地での略奪や虐殺など、残酷な悪行を行った。諸侯間の対立もあり混乱を極めたが、1099年にエルサレム奪還に成功し、エルサレム王国を建国。周辺にもいくつもの十字軍国家が建国された。

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第1回十字軍遠征は、軍事的な目的を達成した唯一の十字軍と言われている。
1147~1148年
第2回十字軍
しばらくの間、中東では十字軍国家(キリスト教徒)とイスラム教徒が共存していたが、イスラム教徒が勢力を盛り返し、1144年に十字軍国家のエデッサ伯国が占領される。それに対し、教皇エウゲニウス3世が呼びかけ、フランス王ルイ7世と神聖ローマ帝国皇帝コンラート3世を指導者に第2回十字軍が結成された。しかし、全体的に統制が取れず、大きな戦果はなく敗北する。
1189~1192年
第3回十字軍
1187年にイスラム教勢力のアイユーブ朝がジハード(聖戦)を宣言すると、イスラムの英雄サラーフアッディーン(サラディン)によって90年ぶりにエルサレムが占領され、十字軍国家もほとんどが占領された。この状況に、教皇グレゴリウス8世が聖地再奪還を呼びかけ、イングランドの「獅子心王」リチャード1世、フランスの「尊厳王」フィリップ2世、神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世が参加した。しかしエルサレム奪還は成功せず、この後、十字軍国家の勢力は衰えていき、守勢に回ることになる。

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第3回十字軍遠征が、聖地エルサレムを目指した最後の十字軍となった。
1202~1204年
第4回十字軍
ローマ教皇イノケンティウス3世の呼びかけで実施されたが、目的はエルサレムの奪還ではなく、イスラム勢力の中心地だったエジプトの攻略が目標だった。しかし、渡航費用すら不足する状態で、十字軍の輸送を請け負ったヴェネツィアの要請に応じてハンガリーのザラを攻略する。同じカトリック系キリスト教の国を攻撃したとして破門されるが、さらに東ローマ帝国の首都コンスタンティノーブルを征服した。その際に略奪や市民の虐殺が行われたという。結果、東ローマ帝国は一時的に滅亡する。
1218~1221年
第5回十字軍
ローマ教皇ホノリウス3世の呼びかけで、ハンガリー王アンドラーシュ2世、オーストリア公レオポルト6世、エルサレム王国の国王ジャン・ド・ブリエンヌらが中心になって結成された。エジプトの首都カイロ攻略を目指すが、内部分裂が起こり失敗に終わった。
1248~1249年
第6回十字軍
1229年に神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ2世が交渉によってエルサレムの統治権を手に入れていたが、1244年にイスラム側の攻撃で陥落する。それに対し、フランス国王ルイ9世が1248年に遠征を開始。エジプトの首都カイロを目指したが、「マンスーラの戦い」で敗北する。ルイ9世も捕虜となり、賠償金を支払って解放された。
1270~1272年
第7回十字軍
1268年にイスラム側によってアンティオキア公国が滅ぼされ、住人は全て奴隷にされるか殺害された。それに 対応して1270年にルイ9世が再び遠征を開始。北アフリカのチュニスに進軍するが、ルイ9世は遠征中に死亡する。さらにイギリス王太子エドワードらが1271年にアッコンに向かって進軍したが、成果を上げられずに撤退した。これが最後の十字軍となった。

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第7回十字軍以降、十字軍国家は縮小していき、1291年にはパレスチナの十字軍国家は全滅している。

十字軍の派遣がもたらした影響

十字軍は約200年に渡って派遣されたこともあり、十字軍がもたらした影響も多くある。ここでは、十字軍がもたらした主な影響を紹介するので、参考にして欲しい。

封建社会から絶対王政への移行のきっかけ

度重なる十字軍の遠征によって、教皇や騎士・諸侯といったそれまで権力を持っていた人間は少しずつ力を失っていった。それに伴い、国王の権力が相対的に増大することになる。

こうして、封建社会は崩壊に向かい始め、国王が絶対的な権力を握る絶対王政の時代へと移行していく。

地中海交易の発展

11世紀以降発展してきた地中海貿易は、十字軍の輸送や補給を担当したことと、西欧諸国が地中海東岸の一部を制圧したことでさらに発展する。

特にヴェネツィア共和国やジェノヴァ共和国はこの時期に最盛期を迎えた。イスラム各国との貿易により、貨幣経済が発展したと言われている。

キリスト教徒とイスラム教徒の確執

200年もの長さにわたって行われた十字軍の遠征は、その悪行や蛮行の数々のせいもあり、イスラム教徒にキリスト教徒に対する敵意を植え付けた。それは現在まで続いていると言えるだろう。

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2001年にはローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が十字軍による虐殺があったことを正式に謝罪している。

まとめ

本記事では、十字軍の派遣の理由と歴史についてわかりやすく説明した。十字軍は、キリスト教の聖地奪還を目的として行われた遠征だったが、実態は領土欲や金銭欲にかられたものであり、略奪や虐殺が横行した。

その傷跡は大きく、現代にまで影響を与えている。宗教の持つ負の一面を表現する出来事だと言えるだろう。

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