ペルシア戦争~アテネ民主政治を完成させた戦い

ペルシア戦争~アテネ民主政治を完成させた戦い

ペルシア戦争とは、紀元前5世紀ごろ勃発したアケメネス朝ペルシア対ギリシアの諸ポリスとの戦争である。この戦争はギリシア側の勝利で終わり、ギリシア諸国の政治体制や勢力圏などに大きな影響を与えることとなる。本記事では、ペルシア戦争の経緯をわかりやすく説明していく。

ペルシア戦争とは?わかりやすく解説

ペルシア戦争は、紀元前500~紀元前449年までの約50年にわたり、アケメネス朝ペルシアとアテネを中心としたギリシア諸国との間で勃発した戦争だ。マラトンの戦い・サラミスの海戦・プラタイアの戦いなど、現在のバルカン半島とギリシアがあるペロポネソス半島の各地で行われた戦争の総称でもある。

第1次~第4次までの4つの時期に分割され、そのうち第2次~第4次は本格的な戦闘が行われた。結果はギリシア諸ポリスの勝利で、紀元前449年のカリアスの和約の締結でペルシア戦争は幕を閉じた。しかしペルシア戦争終結後は、アケメネス朝ペルシアを打破するため団結していたポリス間で対立が起こり、ギリシアは内乱状態に陥ることとなる。

ペルシア戦争が起こった原因

ペルシア戦争の原因は、アケメネス朝ペルシアが支配していたイオニア植民市(現在のトルコ西岸の地域)の反乱である。

アケメネス朝ペルシアは紀元前500年まで、ダレイオス1世のもと国土の拡大政策を取っていた。しかしアテネがイオニア植民市の反乱を支援したことにより、ペルシアは報復としてギリシアへの侵攻を開始した。こうして約50年続くペルシア戦争が始まるのだ。

ペルシア戦争の経緯

アケメネス朝ペルシアによるギリシアへの報復としてペルシア戦争は始まった。ペルシア戦争はギリシア側の勝利で幕を閉じるが、その間にはギリシアとアケメネス朝ペルシアともに多大な犠牲を払う激しい戦闘が何度も行われている。 ここでは、ペルシア戦争勃発から終結までの経緯を第1次から第4次にわけて解説する。

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第1次についてはペルシア戦争に含まず、第2次ペルシア戦争・マラトンの戦いから、第4次ペルシア戦争・プラタイアの戦いまでをペルシア戦争とする説もあることを留意してほしい。

【第1次ペルシア戦争】ペルシア軍による最初の侵攻

イオニア植民市の中心都市の1つであるミレトスを支援したアテネに報復することを決めたアケメネス朝ペルシアは、軍隊をギリシア本土に向かわせる。

しかし紀元前492年にバルカン半島南東部のトラキア地方まで進行したところで海軍が暴風雨に合い、壊滅的な被害を受けてしまう。アケメネス朝ペルシアはやむを得ず軍隊を引き上げることとなり、本格的な戦闘にはならず、第1次ペルシア戦争は終結した。

【第2次ペルシア戦争】マラトンの戦い

マラトンの戦いは、紀元前490年夏、アテネから40kmほど離れた「マラトン」という場所で行われた。兵力はペルシア軍が2万、アテネは同盟国であるプラタイアの支援も含めて1万である。5日間にらみ合いが続いた後、戦闘が始まった。

アテネの主力は、大きな盾と長い槍で武装した重装歩兵である。開戦初期はペルシア軍が優勢であったが、重装歩兵は降りそそぐ矢をものともせずペルシア軍に突進し、接近戦に持ちこんだ。最後はアテネの猛攻に陣形を崩したペルシア軍が船に逃げ出し、結果はギリシア側の勝利であった。

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余談ではあるが、マラトンの戦いは「マラソン」の由来でもある。フェイディッピデスという人物が、ギリシア側の勝利をマラトンからアテネまで走って伝えたそうだ。

サラミスの海戦へつながる2つの戦い

マラトンの戦いから10年後の紀元前480年、アケメネス朝ペルシアは再びギリシアへの侵攻を開始した。ギリシア北部はたちまちペルシア軍の支配域に入り、地上ではテルモピレーの戦い、海上ではアルテミシオンの海戦が勃発する。

テルモピレーの戦いでの戦力差は、スパルタ率いるギリシア軍7,000人に対してペルシア軍70,000人で、ギリシア軍が圧倒的に不利な状況を強いられた。それでもギリシア軍は急崚な斜面と海に挟まれた地形を活かし、ペルシア軍による正面突破を何とか防いでいた。

しかし、ペルシア軍を率いるクセルクセス王が迂回できる小道を発見したことで状況が急変。ペルシア軍は小道からギリシア軍の防衛線を撃破し、退避できなかった部隊を一掃した。最後はギリシア軍が全滅し、ペルシア軍の圧勝で終決する。

一方アルテミシオンの海戦では戦力が拮抗し、なかなか決着がつかない状況が続いた。一度は嵐でペルシア艦船200隻がほぼ全滅するのだが、それでもペルシアは余力があり、2日間小競り合いを繰り返した後、全面対決が行われた。

全面対決は丸1日続き両軍に多大な被害をもたらしたが、ギリシア軍がテルモピレーの戦いで敗北したことを知り、両軍はアルテミシオンから撤退した。

【第3次ペルシア戦争】サラミスの海戦

テルモピレーの戦いに勝利したペルシア軍はさらに進軍を進めた。ギリシア軍は大半がバルカン半島南部まで後退し、サラミスに海軍を集結させ、サラミスの海戦が行われた。現代の研究によると、戦力はペルシアが600隻、ギリシアが200隻だったそうだ。一見ペルシア側が圧倒的に有利なように見えたが、実際は違った。

海戦で活躍できたのは、船幅が狭く、機動力のあるギリシア海軍の三段櫂船であった。小回りが利き、スピード感のある動きを武器に舳先から伸びる衝角でペルシア艦船に穴を開けて沈没させたり、オールを薙ぎ払って身動きを取れなくしたりした。

また、ペルシア軍が隊列を整えながら入れるほど広くないサラミス湾の地形を活かした戦法も功を奏した。ペルシア軍がサラミス湾に入れず隊列が崩れ、波がうねり前進できなくなったところをギリシア軍が襲撃したのである。加えて乗船攻撃も試みてペルシア軍全体を混乱に陥れ、残ったペルシア艦隊を後退させた。

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ギリシア軍の勝利には各ポリスの無産市民が大きな役割を果たした。一説によると、200人の乗組員のうち180人は船の漕ぎ手だったという。無産市民の活躍があったからこそ、三段櫂船を使った戦法が成功したと言えるだろう。

【第4次ペルシア戦争】プラタイアの戦い

サラミスの海戦で敗北したペルシア軍だったが、マルドニウス率いる軍隊はギリシア北部のプラタイアに拠点を築き、戦闘を続ける準備を進めていた。一方ギリシア側もスパルタのパウサニアスが指揮する軍隊がペルシア軍の近くに陣取っていた。

開戦初期は両軍とも全面対決をためらっていたが、ペルシア軍の騎馬隊がギリシア軍の補給部隊を襲撃し、水分の供給路を遮断したことで状況が一変する。

ギリシア軍は夜闇に紛れて陣を移動させようとしていたのだが、途中で夜が明けてしまい、現場は大混乱に陥る。そこを好機ととらえたペルシア軍が攻撃を開始するが、相手は白兵戦に強いギリシア軍の重装歩兵だ。

次第にギリシア軍が優位に立つようになり、ペルシア軍を率いるマルドニウスは戦死。残されたペルシア兵も敗走し、プラタイアの戦いもギリシア軍の勝利で幕を閉じたのだ。

ペルシア戦争の結果と歴史的意義

多くの犠牲を払ったペルシア戦争は、紀元前449年のカリアスの和約を締結することで集結した。プラタイアの戦い以降もペルシア人とギリシア人の戦いは続いたが、その後ペルシア人がギリシアへ侵攻することはなかった。

ギリシアに乱立する複数のポリスが協力して勝利したペルシア戦争は、世界史の中でも歴史的意義の大きい戦いであった。ここでは、ペルシア戦争がもたらしたギリシアの社会の変化を解説する。

アテネ民主政治の完成

ペルシア戦争の終結後、アテネではペリクレスの指導のもと民主政治が完成した。18歳以上の男性市民全員が参加し、民会の抽選や選挙によって執政官・将軍・五百人評議会・民衆裁判所などの役人が決定された。世界で初めての民主主義とも言われているが、奴隷制度を前提としていた点や、女性の参政権を認めなかった点など、現在の民主政とは異なる様相を呈している。

また、紀元前478年ごろにはデロス同盟が成立した。デロス同盟はアテネを中心としたギリシア諸ポリスの軍事同盟だ。ペルシアの再攻に備えるための同盟で、最盛期には約200のポリスが加盟していたとされている。

ポリスの対立によりギリシアは内乱状態へ

デロス同盟を結び、団結したように思えたギリシア諸ポリスだが、次第に不穏な空気が漂うようになる。紀元前454年以降、加盟ポリスが出し合った軍資金を管理する金庫がアテネに移され、アテネがその他のポリスを支配する帝国のような状態に陥った。

アテネに反発したスパルタはペロポネソス同盟を結成し、紀元前431~紀元前404年までの間、デロス同盟対ペロポネソス同盟のペロポネソス戦争が勃発。ペルシアの支援を受けたスパルタが勝利するが、その後テーベというポリスが支配権を握るなど、ギリシアは内乱状態が続くことになる。

まとめ

ペルシア戦争は、乱立していたギリシア諸ポリスが団結してアケメネス朝ペルシアに勝利した戦いだ。この戦争の結果アテネでは民主政が確立し、世界史的に重要な戦争であると言える。

しかしペルシア戦争終結後はアテネが支配力を強め、逆にギリシア内で反発する勢力を生み出し、今度は身内同士で争うこととなってしまった。一度は協力できても、その後の振る舞い次第で軋轢を生んでしまう。これは現在を生きる我々にも当てはまるのではないだろうかか。

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